浅右衛門と固山宗次の刀

元々、刀は実戦で使われることで、所有者が自ら斬れ味を体感してきました。しかし実戦が少なくなる時代になると、刀は試し斬りによってその斬れ味を調べられることとなります。刀の斬れ味を調べるための試し斬りですが、試し斬りの名手と呼ばれる人たちも現れました。試し斬りの名手の中でも、最も有名なのは山田浅右衛門家と言われています。山田浅右衛門は一人ではなく、8代にわたる10名が記録されていると言います。初代の山田浅右衛門は、1657年(明暦3年)の生まれで、角蔵、浅五郎、そして最後に浅右衛門となりました。10人いる代については、一代目から浅右衛門貞武、吉時、吉継、吉寛、吉睦、吉貞(離縁)、吉昌、吉利、吉豊、吉亮となっています。名がある代も何人かいますが、記録のほとんどは浅右衛門と記されている場合が多いそうです。固山宗次での試し斬りを行った一人である、後藤為右衛門は、備中国の新見藩市である山田家の門人であり、試し斬りの名手と言われていました。この為右衛門の次男が後藤五三郎利重です。山田家の養子となって、山田五三郎と姓が変わりました。七代目山田右衛門吉利となります。吉利は、1859年(安政6年)の10月7日に、橋本左内(さない)、頼三樹三郎(らいみきさぶろう)を斬首し、同じ月の27日には吉田松陰(しょういん)を斬首しました。他にも水戸藩士の大関和七郎、森五六郎、杉山弥一郎、森山繁之介などを処刑しました。彼らは桜田門の変で井伊直弼を殺害した罪に問われました。斬首、処刑を行うときに使った刀は固山宗次という刀を使っていました。二十一回もの試し斬りを行ったとされる、異例とされる刀です。記録でも切れ味が凄まじかったそうで、固山宗次の自信作であったようです。

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