礼儀の本質

礼儀というものは常識を測るものとして社会的に機能してきたわけですが、自分自身に対しても礼儀がなっていない人は、相手に対しても礼儀を守って接することができないのです。自分自身の中にだらけた部分や堕落した部分があるということがそのような事態を引き起こしているとも言えるでしょう。全ての原因を自分に求めることが武士道の根底にはあると考えられるかもしれません。そして、相手に対する尊敬の念は、自分自身への尊敬の念でもあり、双方が引き合うことで礼儀となるということを覚えておくといいかもしれません。ここで再三述べてきている、日本刀を用いた鍛錬というのも、そのような礼儀に貢献するものであると言えるでしょう。だからといって、やみくもに周囲の人に頭を常に下げていればいいというわけではありません。歴史上の偉人の名言では、心のない礼儀というのはない方がマシだとまで言い切っているものもあると聞いたことがありますし、結局のところ、心に忠実に従って 礼儀を尽くすことができれば良いのではないか考えられますから、このような礼儀やそれに関する作法などによって、自分自身の気持ちを常に引き締めて体内に自浄作用を働かせて社会に出ていくことは、より良い社会を円滑な人間関係をつくるということにも繋がっているということをより多くの人が知っておくべきではないかと考えております。それでも、あまりにも忙しくなった現代においては、外的要因行ってそのような礼儀を守ることができなくなる時も来るかもしれませんから、臨機応変に対応することが重要だと言えるでしょう。そのような際には、礼儀がなっていなかったと反省をすればよいだけです。反省して繰り返し学んでいくことが武道の上達にも役立ってくはずです。