大和守吉道

大和守吉道は、江戸初期、摂津国の刀工。「初代大坂丹波守吉道」の次男に生まれる。生年不詳で、没年は延宝年間。八十歳の長寿を全うした。播磨国姫路に居住した時期もあり「姫路大和」とも称される。

「河内守国助」「多々良長幸」等と総じて「関西の丁子乱れの三名人」といわれる。丁子乱れとは、丁子の実が連続して見える刃文をいう。時代が進むと「薬焼刃」の技法により、菊水、富士山、桜花などの華美な文様を描けるようになった。作風は、重ねの厚い反りの浅い鍛え。

匂本位の丁子乱れで、直刃の大阪焼き出しになっており、華麗な作風になっている。また、華麗なだけではなく、切れ味も良く「良業物」との高い格付けになっている。

大和守吉道銘は、三代受け継がれ、二代吉道は寛文年間に常陸国水戸の徳川光圀の招聘により水戸藩で作刀を行なった。初代大和守吉道の代表作は、 特別保存刀剣「刀 銘 大和守吉道」である。

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