日本刀の起源

今では先進国である日本ですが、古代は大国だった中国の後塵を拝していました。当時も独自の刀剣文化を築いていましたが、大陸製のものに比べれば性能は劣っていました。例えば推古天皇の詠じた歌の中にも、中国の太刀を称賛するくだりがあるほどです。要するに刀剣類は中国から輸入されていたのでした。しかし古代日本人にも矜持があり、またヤマト政権の神格化を急ぐ必要性があったため、儀礼に用いる刀剣の国産化に勤しみ始めたのです。そこで教師として招いたのが渡来人でした。中国人や朝鮮人の彼らから刀剣製造のスキルを必死に学んだのです。その集大成ともいえるものが東大寺正倉院に納められている宝物であることは、日本史を学んだ皆さんならご存知のことでしょう。正倉院には「唐様太刀」が残されているのですが、これは唐の刀を模して製造したものだと推測されています。

以後、日本刀は独自の進化を遂げることになりました。時代区分から上古刀、古刀、新刀、新々刀、現代刀などと類別されます。これらの刀は時代ごとに物語化され、日本神話の名脇役であり続けました。「古事記」や「日本書紀」にも登場し、「草なぎの太刀」はよく知られています。スサノオノミコトが出雲でヤマタノオロチを斬り倒した際に出現した刀だと言い直せば、合点のいく人も多いでしょう。 皇位継承の証として今でも皇室の儀式に用いられ、庶民にも「三種の神器」の一つとして認知されています。

上述した刀の種類を特徴づけるものに、「直刀か湾刀か」という違いがあります。平安時代初期までは中国や朝鮮半島の刀剣文化の影響が大きかったことから直刀が主流でしたが、爾後徐々に反った刀が増え始めました。契機として考えられるのは蕨手刀の影響でしょう。今の東北地方の人々が生み出した刀だったと言われています。